北の核開発は確実に進んでいる――9.24 NO FENCE集会報告(小川晴久)
講師の元平壌エリート氏の立場もあるので、話の要点だけをお伝えする。
1 北の核開発は50数年の歴史がある
北朝鮮は1953年の朝鮮戦争後、原子爆弾、中性子爆弾の製造の必要を感じ、開発に着手する(1964年6月29日の金日成指示)。
核実験場は延辺が知られていたが、これはひとつの実験場であって、1994年金日成の死後、アメリカから軽油をもらうかわりに、北はこの施設を爆破した。しかし豊渓里(プンゲリ)という天然の要塞があって、ここで何度も地下核実験をおこなっている。
北の核開発研究は慈江道江界(カンゲ)市にある101核物理研究所で1965年から始まっている。
1985年12月25日、金正日は核研究施設を視察し、今のわれわれの水準は中学生程度だと言明した。
1986年頃、ソ連製スカッド・ミサイルをイランから買い入れ、解体して研究。
1989年以降、東欧・ソ連の崩壊過程で多数の資料が外に売られたのを入手。
1992年、ソ連崩壊後、旧ソ連の専門家たちを20名くらいセットで北に迎え入れる。月給4千ドル。ここから核・ミサイルの開発は急速に進展する。
1993年5月29日ノドン(労働)ミサイル発射(500km)。これは短距離ミサイル。(100~800kmが短距離ミサイル。800~2000kmが中距離ミサイル。2000km以上が長距離ミサイル。)
1998年8月31日、大陸間弾道ミサイル(テポドン)発射。
2013年2月12日、第3回核実験までに原子爆弾は完成。
2015年、金正恩「これからは水爆開発実験だ」
2016年9月9日、第5回核実験は中性子爆弾(原爆の20~30倍)。
2 現段階
今、北は核弾頭の軽量化に努めている。100kgの核弾頭(ファソン12号は100kgであったと公称)だとすると、日本まで7分で到着する。日本側は40km圏内に入ってきたものしか迎撃できない。迎撃態勢を取るまでに6分かかる。だから北が日本に撃ってくれば、それは防げない。地対地ミサイルは成功している。
北は韓国には核攻撃はしない。併合後、南に住まなければならないからだ。しかしアメリカや日本に対しては使う。日本の場合は、対象は基地、原子力発電所。ただ、北は原子力潜水艦は現段階で持てていないので、アメリカへの攻撃はできない。
北の軍人たちは、朝鮮戦争はアメリカの先制攻撃で始まったと理解しているので(注:実際は北の先制攻撃)、今度は北が先制攻撃する権利があると考えている。
3 北は一貫して核・ミサイル開発を進めてきた
金正日は「表(おもて)で100回握手しながらも、裏では殴って統一しなければならぬ」「これからは核・ミサイル・電子兵器の開発が必要だ」と言明した。金大中が「北は核開発の意思もなく、能力もない」と言ったのは事実に合っていなかった。
4 在英駐在公使の韓国への亡命は自発的なものではなかった
金ファミリーの金正哲が英国のあるコンサートに来ることをうっかりゴルフ仲間に漏らしてしまったことの責任追及を恐れての亡命。しかし中堅クラスへの影響は大きかった。
5 内部にも抵抗勢力がある
脱北したいという幹部がいても、外に出ても何もやることがない、むしろ内部にいて準備をすべきだ。
〔感 想〕
着実に核・ミサイル開発が前進していることがわかった。50数年前から開発を進めてきたという指摘に、私は今年2月13日の千葉優美子さんのお父さんの証言を思い出した。お父さんの証言を大事にすべきである。
地下核実験場づくりに強制収容所(化成16号管理所)の囚人たちが使われたという情報をどう思うかという私の質問に、それは知らない、軍隊が4旅団動員されて建設していると聞いている、という答えであった。しかし核放射能被害のある現場である。強制収容所の囚人は必ず使われているであろう。9月12日に出したNO FENCE声明でも強調したように、強制収容所との関連を指摘し、早く核・ミサイル開発の阻止と強制収容所の廃絶を2つながら急がねばならない。