北朝鮮内部の変革者の証言録(5・終)
北の証言者の紹介
北の証言者の年令は、南の対話者の都希侖(ドヒユン)氏(1967年生)が「北の弟」と書いているので、50歳前後である。一人優秀な息子がいる(いた)。そして彼の生き方に深く刻まれたお父さんが対話録に2回出てくる。この対話録の中で、彼は防衛上殆んど自分を語らない。しかし、その中でも時々彼は少し自分を語る。最終回として、2~3のエピソードと北が対南工作のテレビ『わが民族同士』2017年6月に紹介した彼の目元をぼかした上半身の写真を彼と判断して紹介する。彼が北当局によって逮捕された時のものと思われる。北提供の写真である。
〈父の教え〉
彼が17歳のとき、軍隊入隊2~3か月前のこと。お父さんに呼び出されて「お前は何歳まで生きられると考えているか」と問われた。そんなこと考えたことはありませんと答えると、今考えて見ろと言われ、70歳位と答えた。自信を持って言えるかと問われて、では65歳までなら自信を持って生きますと答えた。すると父は「今まで良く生きたと思ったときはないか」と言われ、「昨日死ぬ日だったが、今日も一日超過して生きていると考えるようにしなさい」と言われ、「私がなぜまだ若いお前にこんなことをいうかと言えば、人は何歳まで必ず生きるといつもそんなことを考えていると、自然に怖いことが増える。計画した日まで生きた人は多くはないので。」という話。「しかし、今寿命を超過して生きていると、大胆になれる。だからいつまでは生きなければという考えは捨てなさい」と仰ったのです(2020年『月間朝』4月号最終回)。「父は考えていたことの40%は達成できた。成功した人生であったと仰っていました。」(同上)。
「父は有名な功勲俳優であった。小さいころ母に連れられて沢山の俳優さんたちに会った。」(2019年11月号第5回目)。
〈彼の写真〉上記したように2017年6月北当局は「特大型国家テロ犯罪の真相」と題して彼と思しき人物を『わが民族同士』で紹介している。下に掲げる写真である(『月間朝鮮』2019年6月号所載)。目元はぼかしているが、顔立ちは引き締まっていて、さすが俳優の息子だなあと感じた。
〈南北統一した暁に、南半部を自転車旅行したい〉
とても印象に残る発言だ。南北が統一したら、南を自転車で隈(くま)なく旅行したい。自動車ではなく、自転車で、と(2020年3月号、第9回目)。
〈本当の共産主義は民主主義だ〉
今一つ印象に残る彼の言葉は、本当の共産主義は民主主義だと語ったこと。都希侖氏がすかさず、北は封建主義ですからねと答えた。前回の第四回目で紹介した彼らが目指した北の青写真によく合う言葉だ(同上)。
〈彼は化学工学を専攻。数理に強い息子〉
彼が終始論理的に考える人物であることに都希侖氏はいつも感心していた。都希侖氏がハッカーのことを質問したので、最終回で北におけるハッカー養成の実態を詳しく証言し、16~7歳になっている自分の息子もその一人であることを告白している。自分の命は明日まででもいいが、息子だけは生かしたいと、都希侖氏に託した。その息子も今生きているかわからない。金日成が作った連座罪法に強く憤り、悲しんだ彼であった。
終りに、都希侖氏にも深く感謝したい。北の弟との出会い、そして2年間の毎日のようなSNSによる対話、北の革命家集団が世界にアッピールしたい内容をよくぞ記録して紹介して下さった。北の弟はこの証言録で永遠に生きる。『月間朝鮮』誌にも感謝。
2020年6月9日 東京にて小川晴久識す。